篠原聡子 と「古い団地」

Credit : Writer きづき編集部
From : きづきvol.38「建築と私」

著名建築家と、思い入れのある建築物。古い友人のようなその場所で、ある人は“建築を始めたきっかけ”を、またある人は“恩師との思い出”を―彼らは、在りし日の自分と対峙し、語り始める。

篠原聡子さんにとっての「古い団地」とは。

住まい手が生み出した
居住空間のやわらかな境界線

科研の共同研究に誘ってもらったのをきっかけに、古い団地を見て歩くことになった。そのフィールドワークの道道、居住者の住みこなし、カスマイズに、ハッとしたり、納得したりする楽しみをもつようになった。もう、取り壊されてしまったが、赤羽台団地の接地階の住戸、しかもダイレクトアクセスのその家には、道路に面してバラのからむ軽やかなゲートがつくられていて、そこをくぐると玄関のスティールドアは開け放されていて、代わりに網戸が玄関の結界をつくっていた。バラのゲートも玄関の網戸も、正式にはイリーガルなものだが、実に自然な欲求に基づいているように見えた。その住戸は高齢の女性の一人暮らしだったが、通りを挟んで向かい側が商店街だったこともあって、開け放しでも、物騒な感じはなく、そのバラのゲートが商店街との間にやんわりと境界をつくっていた。彼女は、知人が買い物の帰りにふらりと立ちよることがよくある、と話していた。

住まい手のカスタマイズ意欲を引き出す建築

アジアの古い団地ではさらに、ユニークなカスタマイズが続々と登場する。しかし、こうした面白いことは、基本となる建築の計画や意匠とやはり無縁ではない。そもそも建築に、面白さを引き出す資質があるところにしか面白いことは起こらない、という気がしている。バンコクのディンデン団地では、一見同じようなアパートメントハウスが何十も並んでいるが、一際楽しげな外部空間の住みこなしを見ることができる一角には、住棟のアクセス方向が向き合って並んでいるという特徴があり、ファサード(*1)も軽やかなブリーズソレイユ(日よけ)がついてその中庭のインテリアになっている。そこには、宗教施設や食堂のような人々が集う施設がピィロティ(*2)を埋め尽くしている。前述の赤羽のバラのゲートと網戸玄関も、ダイレクトアクセスという計画と道路から程よい距離があればこその設えであろう。住み手がそれに関わろうとする野心を起こさせるような、そんな家をつくりたいと、いつも思うのである。

*1: 建築用語で建築物の正面、また外観を構成するおもな様相を指す。フランス
語で、英語の「face」と同義。町の景観を形づくる部分なので、設計上デザインが
重視される。

*2: 土地の有効活用や 床面積を節約 するため、2階以上を通常の居住空間などとし、 1階部分を 壁のない 柱だけの 吹き放ちの 空間にした 建築様式 。おもに1階のピロティ部分は、駐車場やなどの屋外空間として使用される。

  1. ディンデン団地の住棟。ブリーズソレイユがファサードのアクセントになっている。
  2. ディンデン団地にある宗教施設(タイ、バンコク)

篠原聡子(Satoko Shinohara)

1958年千葉県生まれ。空間研究所主宰。日本女子大学教授。主な作品は、竹内医院(2010・千葉県建築文化賞)、日本女子大学付属豊明幼稚園(2011)、SHAREyaraicho(2013・住まいの環境デザインアワード環境デザイン最優秀賞、2014・日本建築学会賞)など。著書に『住まいの境界を読む』(彰国社・2008)、『おひとりハウス』(いえを伝えるシリーズ・平凡社・2011)、『多縁社会』(東洋経済新聞社・2015)などがある。

古い団地

“団地”の名称は、「UR都市機構」の前身にあたる「 日本住宅公団 」のさらに前身「住宅営団」が進めていたプロジェクト「労務者向集団住宅地計画」の略称から。日本では1960〜70年代、大規模な集合住宅として、単身世帯の増加と大都市への人口集中といった時代背景を受け、合理的で快適な居住空間をいかに供給できるか、という観点で建てられた。本文中にも出てきた「 赤羽台団地 」、また名建築として知られる「阿佐ヶ谷住宅」などはもちろん。周辺環境の良さや立地に対しての敷地の広さ、時代の洗礼を受けた“古くて新しい”独特の魅力などから、近年若者を中心に、“団地”ムーブメントが起きている。

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